目の前で卵がカチカチに固まっていくのを見て、桜は「やっちゃった!」と思わず叫んでいた。
「あーあ」
桜はひんやりとしたカウンターに顔を突っ伏したまま呻く。
閉店後のカルテットキッチンは少し薄暗くて心地がいい。お客さんのささやき声や、直前まで響いていたレコードの音楽が空中にふわふわと浮いているようだ。
日中は皿やカップでいっぱいになるカウンターテーブルも、閉店後はピカピカに磨かれていい匂いがする。
自分が生まれるより前からあるこのテーブルに頬をつけて目を閉じるのが、好きだった。
「あー」
机に伏したまま、桜はまた呻く。
いつもなら癒やしになるはずの風景も、今はちっとも桜を慰めてくれない。
「……燕さんがいない間、お料理係にさせてほしいって立候補したの、私なのに」
思わずこぼしたその言葉で、桜の心がまたずしりと重くなった。
思い出すのは数時間前のこと。
場所は律子の家の台所。桜は新品のエプロンを身につけて、意気揚々とそこに立っていた。
その場所は、いつもなら燕の定位置だ。しかし彼は今朝から研修で香川県に行ってしまった。
残していく律子のことが不安だったのだろう。普段無口な燕にしては珍しいほど、長文メールを桜に送ってきた。
できるだけ律子と一緒にいてほしいこと。
食事を抜かないか見張ってほしいこと。
怪我などしないように確認してほしいこと。
そんなこと、言われなくても当たり前だ。だから桜は速攻で律子に宣言したのだ。燕がいない間、お料理の面倒を見ますね、と。
「料理担当って言っても、大島君の作った料理をレンチンするだけでいいんでしょ?」
カウンターの向こうから、カルテットキッチンのシェフであるみゆきが体を乗り出す。その顔を見て桜は唇を尖らせた。
「そう、ですけど……」
「どうせ大島君のことだし、すごい量の作り置きしてるんじゃない?」
「……すごかったです。冷蔵庫も冷凍庫もパンパンで。魚料理から肉料理から煮物から……」
桜は律子の家にある冷蔵庫を思い出し、ため息をつく。
几帳面な燕は、桜が驚くくらいの作り置きを用意していた。
だから桜はそれをレンジで温めて出すだけでいい。
「じゃ、それ出したらおしまいじゃない? 大島君のことだから桜ちゃんの食べる分も合わせて作ってくれてると思うし」
「でもちょっと思っちゃったんです……今なら」
桜はカウンターの下でもじもじと指をいじる。急に恥ずかしくなり顔もあげられない。
「今なら?」
「あーあ」
桜はひんやりとしたカウンターに顔を突っ伏したまま呻く。
閉店後のカルテットキッチンは少し薄暗くて心地がいい。お客さんのささやき声や、直前まで響いていたレコードの音楽が空中にふわふわと浮いているようだ。
日中は皿やカップでいっぱいになるカウンターテーブルも、閉店後はピカピカに磨かれていい匂いがする。
自分が生まれるより前からあるこのテーブルに頬をつけて目を閉じるのが、好きだった。
「あー」
机に伏したまま、桜はまた呻く。
いつもなら癒やしになるはずの風景も、今はちっとも桜を慰めてくれない。
「……燕さんがいない間、お料理係にさせてほしいって立候補したの、私なのに」
思わずこぼしたその言葉で、桜の心がまたずしりと重くなった。
思い出すのは数時間前のこと。
場所は律子の家の台所。桜は新品のエプロンを身につけて、意気揚々とそこに立っていた。
その場所は、いつもなら燕の定位置だ。しかし彼は今朝から研修で香川県に行ってしまった。
残していく律子のことが不安だったのだろう。普段無口な燕にしては珍しいほど、長文メールを桜に送ってきた。
できるだけ律子と一緒にいてほしいこと。
食事を抜かないか見張ってほしいこと。
怪我などしないように確認してほしいこと。
そんなこと、言われなくても当たり前だ。だから桜は速攻で律子に宣言したのだ。燕がいない間、お料理の面倒を見ますね、と。
「料理担当って言っても、大島君の作った料理をレンチンするだけでいいんでしょ?」
カウンターの向こうから、カルテットキッチンのシェフであるみゆきが体を乗り出す。その顔を見て桜は唇を尖らせた。
「そう、ですけど……」
「どうせ大島君のことだし、すごい量の作り置きしてるんじゃない?」
「……すごかったです。冷蔵庫も冷凍庫もパンパンで。魚料理から肉料理から煮物から……」
桜は律子の家にある冷蔵庫を思い出し、ため息をつく。
几帳面な燕は、桜が驚くくらいの作り置きを用意していた。
だから桜はそれをレンジで温めて出すだけでいい。
「じゃ、それ出したらおしまいじゃない? 大島君のことだから桜ちゃんの食べる分も合わせて作ってくれてると思うし」
「でもちょっと思っちゃったんです……今なら」
桜はカウンターの下でもじもじと指をいじる。急に恥ずかしくなり顔もあげられない。
「今なら?」
山本ゆり先生 コメント
まさか自分のレンジ焼き飯がこんなにも素敵な物語になるなんて!笑
ジップロックに冷凍ご飯ゴンに生卵生肉のレシピなのに、この世界に入ると
それが優しい温かい雰囲気に包まれてすごく不思議です。
燕くんが作るんかなと思ったら桜ちゃんだったんですね!それもまた嬉しいです!
居場所を色々作るのって本当に精神安定のために大事だなといつも思います。
1本でいくとそこが無くなった時にしんどいですもんね。
いつも優しい小説を本当にありがとうございます。」
みお先生 コメント
今回も記念SSに、山本さんのレシピを使わせていただきました。
今回は燕くんが瀬戸内へ遠出していることもあり、桜ちゃん視点で律子さんとの秘密の女子会です。
山本さんのレシピは、どれも手軽に作れてしかも美味しいので、桜ちゃんに何を作らせようかと考える時間も楽しいひとときでした。
その中でも、私が普段よく作っているチャーハンを使わせていただくことに。
ぶきっちょな桜ちゃんでも作れそう……という理由で選びました。
基本、レンジでチンするだけなので、慌てがちな桜ちゃんでもミッションクリアです。
「書く前にもう一度作ってみよう!」と思い立ち、台所にパソコンを持ち込んで作りながら執筆していたのですが、作業しながらでも簡単に作れて、本当に感動しました。(そして書いている暇がないほど、あっという間に完成!)
しっとりとしていて卵がほろっと崩れる食感。味わいはまさにチャーハンそのものでした。
火を使わないので、夏場にはとても助かるレシピです。あとご飯いつも炊き忘れて冷凍ご飯を使う私のようなタイプにはとても助かります……!
今回もレシピを使わせていただき、ありがとうございました!!