亡霊が見えるせいで呪われた子だと家族から罵られてきた里沙。
自分の力を忌避し、生きる意味を見失いかけていた彼女を繋ぎ止めたのは、奥勤めをしている叔母・お豊からの一通の手紙だった。
『そなた、大奥へ来ぬか――』
そこは男子禁制で全てのお役目を女が勤め、皆いきいきと働いているという。
こんな私でも誰かの役に立てるのならばと、お豊の力添えで奥女中となる決意をする里沙だったが、そこでは、とある亡霊騒ぎが起きていて――。
霊視の力持つ奥女中・里沙と記憶を失った侍の亡霊・佐之介が、大奥に現れる亡霊たちの心残りを解き明かす、感動のお江戸小説。
侍の亡霊、佐之介とともに御火の番の亡霊騒ぎを解決し、霊視の力が認められた里沙。
その功績により、大奥で亡霊による怪事を解決し、
記録に残す「御幽筆」という特別なお役目を与えられが、
その傍らにはいつも佐之介の姿があった。
男子禁制の大奥で、亡霊とはいえ佐之介とともに行動することに戸惑いを覚える里沙。
しかし、彼女の中で佐之介の存在はどんどん大きくなっていくようで――。
霊視の力を持つ奥女中と
記憶を失った侍の亡霊が織りなす、
感動のお江戸小説!
大奥で唯一のお役目である「御幽筆」として亡霊騒ぎを調査する里沙のもとへ、毎晩うなされる友を心配する女中から依頼が持ち込まれる。さっそく亡霊の仕業ではないかと調査を始める里沙。
だがその傍らにはあらたな亡霊の姿が……。
人と亡霊、生者と死者。
決して交わることのないそれぞれの想いが、霊視の力で綴られた里沙の手紙によって交錯する時、里沙は親友のお松に隠されたある想いを知ることになる──。
里沙と佐之介の
キャラクターラフを菊川あすか先生、
春野薫久先生のコメントともに
特別公開!
作者:菊川あすか先生コメント
装画:春野薫久先生コメント
本シリーズの主人公・里沙は見習いとはいえ、御右筆という役職についています。
これは将軍様に謁見できる「御目見以上」と呼ばれる大奥の中でも
大変少ない人しか就くことができない仕事でした。
そのため、里沙も立派な着物を着る必要あるということで用意されていますが、
それが表紙で里沙が着ている着物ということになっています。
大奥シリーズの表紙の柄は、着物が大好きな菊川先生と春野先生によって、
毎巻異なるものがデザインされていますが、
ここでは、春野先生がデザインされた図案を
両先生のコメントとともにご紹介します。
デザイン:春野薫久
『大奥の御幽筆』の舞台となった大奥。物語をより楽しめるよう、
謎のベールに包まれた大奥の世界を、簡単にご紹介したいと思います。
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大奥は江戸城に
三カ所あった
江戸城には「大奥」と称される区画が、本丸、西の丸、二の丸の三カ所にありました。
三カ所のうち、『大奥の御幽筆』の主人公・里沙が奉公に上がったのは、本丸御殿の大奥です。
本丸御殿は幕府の儀式や政務を行なう「表」と、将軍の日常生活および、執務の場である「中奥〈なかおく〉」、御台所(将軍の正室)や側室、将軍の子女、および、上記の人々に仕える女中たちが住む「大奥」の三つに分かれていました。
三つの中で最も大きかったのは、本丸御殿全体の半分以上を占める大奥でした。
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大奥はどのような
構成になっていたのか
広大な敷地に建つ大奥は、「御殿向」、「長局向〈ながつぼねむき〉」、「広敷向〈ひろしきむき〉」の三つの区域で構成されていました。
御殿向は、将軍の家族が生活する場であり、奥女中が働く場です。将軍が大奥に泊まる際の寝所、御台所や将軍子女、将軍生母の住居、奥女中の詰所など置かれていました。御殿向は「御鈴廊下」で、中奥と繋がっています。
広敷向は大奥で事務や、警護・監視を担う男性役人の詰所です。
長局向は、里沙たち大奥の女中が寝起きする場です。奥女中たちが勤務していたのは御殿向ですが、その住居は長局に置かれていたのです。長局向は、大奥の約三分の二のあたる四千二百十二坪もの広さがありました。
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大奥の女中は総勢何人?
大奥には、どのくらいの人数の女中が働いていたのでしょうか。
その数は、将軍の代によって異なり、一定していませんでした。
はっきりとした総数はわかりませんが、少ないときでも五百名はいたとされます。もっとも女中の数が少なかったのは、八代将軍・徳川吉宗の時代。多かったのは、『大奥の御幽筆』で描かれた十一代将軍・徳川家斉の時代で、その数は千五百人を超えていたともいわれます。
奥女中は将軍だけでなく、御台所(将軍正室)、世子、御簾中(世子の正室)、姫君(将軍の娘)、将軍生母にも付けられました。
奥女中は幕府に雇われ、給料も幕府から貰っていました。ですが、大奥で働く女中のすべてが、幕府から直に雇われた「直の奉公人」であったわけではありませんでした。
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里沙たち部屋方が、
長局以外は
出入禁止だった理由は?
『大奥の御幽筆』のなかで、御年寄の野村が里沙を雇ったように、上級女中が自分のために自費で雇った女中も存在しました。それが、「部屋方」です(又者〈またもの〉ともいいます)。幕府からみると陪臣となります。
里沙たち部屋方が、長局以外の場所の出入りを禁止されていたのは、幕府が抱える女中ではなかったからです。
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将軍付の女中が
格上だった
奥女中には、どのような役職があったのでしょうか。
奥女中には二十を超える職階がありました。将軍や御台所に目通りが許される御目見以上と、目通りが叶わない御目見以下に分れていました。
御目見以上を身分の高い順から挙げると、上臈〈じょうろう〉、御年寄〈おとしより〉、小上臈、御年寄、御客〈おきゃく〉、応答〈あしらい〉、中年寄〈ちゅうとしより〉、中﨟〈ちゅうろう〉、御小姓、御錠口〈おじょうぐち〉、表使〈おもてづかい〉、御右筆〈ごゆうひつ〉、御次〈おつぎ〉、切手書、呉服之間〈ごふくのま〉、御坊主、御広座敷〈おひろざしき〉。
御目見以下は、御三之間〈おさんのま〉、御仲居、御火の番、御茶之間、御使番、御半下〈おはした〉(御末〈おすえ〉)となります(将軍によって多少の変動あり)。
また、奥女中たちは将軍付と御台所付と大別され、将軍付のほうが格上でした。
ちなみに『大奥の御幽筆』において、野村は将軍付の御年寄であり、里沙も、里沙の叔母で右筆の豊も将軍付です。
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部屋方の職制
里沙たち部屋方にも職制がありました。
部屋のいっさいを取り仕切る役を、「局」といいます。『大奥の御幽筆』では、姉御肌でしっかり者のお松が野村の部屋の局を任されていましたね。
里沙が務めた合の間(相の間とも)は、部屋の「合の間」という場所に詰めて、主人の髪結いや衣装など身の回りの世話をする係です。また、局の補助も仕事の一つでした。
他にも、多聞〈タモン〉という炊事、水汲み、掃除など部屋の雑用を担う下女や、女中見習いの「小僧」などがおり、一緒に暮らしていました。
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御年寄は、
必ずしも高齢では
なかった
次は、大奥女中のトップである「御年寄」について、簡単にご紹介しましょう。
御年寄には「上臈御年寄」と「御年寄」がありました。
上臈御年寄は、奥女中の最高位です。御台所の相談役として典礼儀式を差配し、御台所の話し相手も務めました。京都の公家出身者がなることが多ったです。
一方、御年寄の多くは旗本の娘で、大奥女中の最高権力者でした。大奥の実権を握り、万事を差配しました。
五百~一千五百人いたとされる大奥の女中のなかで、御年寄になれるのは僅か七、八人だったといいます。なお、御年寄といっても、必ずしも、お年を召した方だけが就くわけではなかったようです。
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野村って苗字?
それとも、名前?
「野村」という名に疑問を感じた方もいるのではないでしょうか。
まず、大奥女中の名前は、本名ではありません。彼女たちは大奥に入ると、女中名が付けられるのです。里沙も野村に、その名を付けて貰いました。
女中の名前や呼称は、身分や序列と結びついていました。
たとえば御年寄や中年寄は、野村のように漢字二文字で、下に「村」、「川」、「浦」、「島」などがつく苗字のような名を、中﨟や右筆などは「お豊」のように「お」が付けられる名を称しました。
仲居より下の女中は「桐壺」、「明石」などの源氏名が付けられましたが、源氏名だけでは数が足りないので、『源氏物語』とは関係のない名前の下級女中も存在しました。
女中たちは役替えがあると改名したとされていますが、名を改めなかった例も見受けられます(竹内誠・深井雅海・松尾美恵子編『徳川「大奥」辞典』)。
物語では描かれていませんが、里沙も野村に付けて貰った名を大事に思い、右筆に出世してからも、野村に願い出て、その名を使い続けています。
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おおらかに流れる
江戸の時間
最後に、『大奥の御幽筆』でも描かれている時刻の呼び方について、ご紹介しましょう。
現代は一日は二十四時間で、常に一定の間隔で時間を刻む「定時法」を用いていますが、江戸時代は、日の出と日の入りが基準となる「不定時法」で、一日は十二刻〈とき〉でした。
日の出を「明け六ツ(午前六時頃)」、日没を「暮六ツ(午後六時頃)」とし、日の出から日没までを六等分したのが、昼の一刻です。
夜の一刻は、日没から翌日の日の出までを六等分したものとなります。
もちろん昼夜の長さは、季節によって異なります。夏は日が長いため、昼の一刻が長く、夜の一刻は短くなります。冬は反対になるわけですから、同じ一刻でも季節によって、差が生じてしまうのです。
現代人の感覚では考えられませんが、明るい時間は働き、日が暮れれば仕事を終えるのが一般的だった江戸の人々にとっては、大きな不都合はなかったといわれます。時間に追われる現代人と比べ、江戸の人々の時間の観念は、大変におおらかだったのでしょう。
文・鷹橋 忍 (歴史ライター)
初めてキャラのラフを見た時は、執筆しながら頭の中で思い描いていた里沙と佐之介がそこにいることに驚き、思わず感動の声が漏れてしまいました。
つらい思いをしてきたからこそ誰かの役に立ちたいという強い思いが感じられる目は、まさに里沙そのもので、佐之介も又、美しく儚い中にも孤独に耐え抜いてきた強さがその面差しに表れています。
里沙の着物については、里沙の優しさや柔らかさに合うような着物にしていただきましたが、本文のどこかでこの美しい打掛を着ている里沙が出てきますので、そちらも是非チェックしてみてください。里沙にとって大切な梅の花簪も、とても細かく描いてくださいました。
完成したカバーの豪華絢爛さと幻想的な雰囲気は、まさに大奥の御幽筆の世界そのもので、長局の廊下の先から御年寄の野村様が今にも現れそうですよね。そして裏表紙ですが、こちらは是非本文を読み終えた後にもう一度見て頂きたいです。正直、私は泣きました。
最後に『大奥の御幽筆』の装画を描いてくださった春野薫久先生、本当にありがとうございました。