ことのは文庫

story

『アクアマリンの瞳』

 人間は、色んな迷信を作り出す。意味の有るものから無いものまで、様々に。
 はたまたは意味が有ったけれど形骸化してしまったもの、意味は無かったけれどまことしやかに囁かれるうちにポピュラーになってしまったもの――それを作り出すのも、人間の面白いところではあるのだけれど。
「黒猫が不吉だと最初に言い出したのは、一体どこのどなたでしょうね?」
 ここは鎌倉にあるガラス雑貨店『硝子館 ヴェトロ・フェリーチェ』の中。実は『宝石魔法師』という役割を持つ一族の末裔が営む、数多の虹色を放つガラス小物が並ぶ店内にて。
 口調は至って丁寧に、けれど黒い尻尾をべしべしと床に叩き付けながら不満を表明する黒猫。そんな俺に、三人分の視線が向けられた。
「おやおや、今日のティレニアくんはご機嫌斜めかい?」
 いつもの人を食ったような爽やか笑顔で、透明なクリスタルガラス製ハリネズミの置物を磨く店主に。
「触らぬ猫に祟りなし」
 整った顔に涼しい表情を浮かべ、これ見よがしに店内のガラス製小物を並べ直し出す男子高校生に。
「そういえば、なんで黒猫の迷信ってあるんだろうね?」
 眉をひそめて首を傾げながら、窓ガラスの拭き掃除を続ける美少女高校生。
 まともに取り合ってくれるのは、どうやら一人だけらしい。その唯一の人物の足下まで歩み寄り、俺は彼女が履いているブーツをてしてしと足でつついた。
「更紗、どう思います? この薄情者たちを」
「桐生さん、取り合わなくていい。こいつ定期的にこの話題持ち出すから」
 この硝子館の爽やか笑顔店主の甥、蒼井悠斗は、彼の叔父の蒼井隼人と違って表情の差が激しい。客やクラスメイトの前では人好きのする笑顔を浮かべるけれど、周りが身内だけになるとスンと真顔になる。本人曰く、『表情筋は休ませてやらないと疲れる』だそうな。
 分からない気がしないでもないけれど、それにしても表情の切り替えが見事すぎてある意味器用な人間だ。
 因みに今、彼は真顔モード。高校のクラスメイトである桐生更紗の前でも、最近はこの顔をすることが多くなった……気がするのは、俺の気のせいでは無いと思う。たぶん。
「さっきは完全にスルーしようとしたくせに、僕らの会話に入らないでもらえますか」
「んだと、この似非敬語猫」
 チロリと横目で見上げれば、悠斗は片眉を上げてこちらを見下ろしていて。
「えせ……敬語猫?」
 その横では更紗が雑巾を持ったまま、反応に困ったような顔で俺と悠斗を見比べていた。
「ああ、更紗さんは知らないんだっけ? ティレニアは黒猫だけど、黒猫じゃないんだよ」
「叔父さん、それ説明になってない」
 悠斗が呆れ顔でそう言ったけれど、隼人の説明も間違ってはいない。
 そう。ティレニアと呼ばれるこの俺は、黒猫であって黒猫ではない。
 だから、『似非』なのだ。
「その通り。僕はただの猫ではありません」
「つーか、そもそも猫じゃないからね。桐生さん気をつけてよほんとに」
 悠斗は「このあざとい外見に惑わされないで」なんて言いながらため息なんて吐いている。なんと失敬な。
「ティレニアはね、『使い魔』ではあるけど、実際は妖精なのさ。僕らのご先祖様が創った存在とかそういうんじゃなく、僕らの協力者と言った方が正確かも知れないね」
「ほおお……ちなみに何の妖精なのかって、聞いてもいいものですか……?」
 隼人のにこやかな説明に、更紗が恐る恐る質問を重ねた。距離感を図るような、遠慮しているような聞き方で。別にそんなに大した話でもないのだから、もっとぐいぐい聞いてきてくれても良いのだけど。
 まあでも、こういう質問は焦らした方が面白い。俺はにんまりとあの有名な夢の国の猫のような笑みを浮かべ、ふふんと胸をはってみせた。
「簡単に言うわけにはいきませんね。これを教えるためには、僕の条件を飲んでいただく必要があります」
 そんな勿体ぶることか? という小さな呟きが隣の少年から聞こえてきたものの、俺がアイコンタクトを取ると彼は押し黙った。そうそう、それでいい。だってこの条件は、奴にとっても悪くないはずなのだから。
 見上げれば、店主も何かを察したようでにこにこと黙っている。この人を食ったような笑顔の青年は食えない人間で、たまに人を見透かしたような言動を取る。今回もその察しの良さで何も言わない選択を取ってくれたらしい。
「条件?」
 更紗が身を乗り出す。ふむ、それなりに俺の正体には興味があるようだ。よかったと俺は内心胸をなで下ろす。これをスルーされては、俺の目論見の意味が無くなってしまう。
「そうです。『黒猫に目の前を横切られると不幸が訪れる』なんてくだらないことを思い込んでいる人間に一時間で何人ほど行き当たるか、それを検証するお手伝いを頼みたいのです。あなたと悠斗に」
 俺は『お手伝い』の内容を説明する。内容は至ってシンプル。これから一時間黒猫姿の俺と外に出て、俺を見た人間がどんな反応をするかを見てもらうというものだ。
「……それ、ティレニアはいいの?」
「? 何がです?」
 きょとんと首を傾げて見せると、更紗の瞳が揺れた。彼女は俺の方にしゃがみ込み、手の甲で恐る恐る頭を撫でてくる。
 なぜ手のひらではなく手の甲で、と思ったのは一瞬だけだった――さっきまで雑巾を掴んでいたから、汚れていない側で撫でてくれたのだと、『聡明』な俺には直ぐに分かった。
「よし、なら行こうか。すぐに」
「え、ちょ、蒼井くん!?」
 更紗の服の袖を引っ張って彼女を立たせながら、すたすたと悠斗が歩き出す。半ば引きずられるような姿勢で、更紗は戸惑ったような声を上げた。
「何? ティアの正体知りたくないの?」
「いや、そりゃ知りたいけど!」
「うん、じゃあ行こうか」
「う、うん……?」
 首を捻る更紗から目を逸らしながら、悠斗が彼女に見えない角度でニヤリと確信犯的な笑みを浮かべたのを、俺は見逃さなかった。
 人をダシにしやがって。あ、今は猫か。
「あの、でも今アルバイト中なのに」
「これも仕事の一貫だよ、更紗さん。僕が店にいるから大丈夫。気兼ねなく行っておいで」
 のほほんとそんなことを言いながら、まだ隼人はクリスタルのハリネズミを磨いている。
「あ、ありがとうございます……すみません」
「いやいや。むしろすまないはこっちの台詞」
 ちらりと悠斗と俺を見比べ、食えない笑顔の店主は軽く頭を下げた。
「? それってどういう」
「叔父さん、何かさっきからずっとハリネズミ磨いてない?」
 更紗の疑問に被せるように、悠斗がそう切り込んだ。そうそう、それ俺も気になってたんだよな。
「いやー、このハリネズミ精巧な作りでさ。トゲの間にすぐ埃たまっちゃうの。参るよねえ、綺麗だしかわいいのに」
「……ガラスケースに入れて展示すれば? 解決するだろ、埃問題」
「そうそう、それそれ」
 ぱちんと指を鳴らしながら、隼人は朗らかな笑顔のまま「流石、ユウくんは察しがいいねえ」なんてのんびりのたまわっている。
「気づいたのがこのハリネズミを出した後でさ。慌てて注文したからまだなんだよね」
 へらりと笑いながらハリネズミを磨き続ける叔父に、悠斗ががっくりと肩を落とし、言葉を無くしているのが分かった。
 前言撤回。どうやらこの店主、察しがいいどころか少し抜けていた。人間は、色んな顔を持っているものだ。

◇◇◇◇◇
「わー、猫ちゃんだ!」
「人慣れしてるね、近づいても逃げないし」
 ガラス館から出て小町通りの方向へ歩いてしばらく。俺はとことこと歩いて行く中で、観光客や地元の子供たちに声をかけられたり、写真を撮られたりしていた。
 猫らしく、人から少し距離を置いたところでじっと彼らを見つめてみたり、そろそろと前足を揃えて座ってみたり。何をしても「かわいい」と言ってもらえるのでそうまんざらでもない俺を、更紗と悠斗は少し離れたところから見守ってくれている。ちらりと様子見してみれば、悠斗がご当地のサイダーの瓶を更紗に差し出し、更紗が戸惑いつつ受け取っている様子が見えて――って、いつの間に買ったんだよ。もう実質デート満喫してるじゃねえか。
 まあ、そうなるよう仕向けたのは俺だけど。
 傍目から見ても「もう付き合えよお前ら」状態なのに一向に進展しないあの二人。その背中を押してやろうという俺の目論見を、察しの良い悠斗は早速有効活用している。うん、後で対価をせびってやろう。
 そう思いながらふらりと街を再び歩き出す、そんな時だった。
「うわ、黒猫だ。目の前横切られた」
 見知らぬ人間の声が聞こえて、俺は「おお、来た来た」と思った。黒猫は不吉を呼ぶ、黒猫に目の前を横切られるのは不吉の前兆――そんな迷信を信じている、もしくはネタにして声に出す人間は意外とそこそこ居るのだ。
「ああ、不吉ってやつ? 今日のお前、ついてないんじゃね?」
「まじか。早く帰ろ」
 ふむ、これでサンプルは一件と。そんなことを考えながら何食わぬ顔で立ち去ろうとしていると、後ろからひょいと抱き上げられ。首を捻ると、むっすりとした表情の悠斗の顔がそこにあった。
「行こう、桐生さん」
「うん」
 こっくりと頷いた更紗が悠斗の肩越しに見える。そのまま二人が歩き去って行く後ろに、気まずい表情をした男子中学生たちが見えた。
「まったく……飼い主の居る前で言えない言葉を、猫本人の前で言うなよな」
 ――そもそもあいつら、知らないんだな。
 そう、悠斗はぼそりと呟いた。むむ、一体何の話だ?
「はいティレニア、これ」
 不機嫌そうな顔をした悠斗の横からひょっこり顔を出し、更紗が俺の前に何かをずいと差し出してくる。
「……サイダー?」
 さっき二人が持っていた瓶と同じもの。柔らかな日差しの元で、クリアな瓶の中に透明な炭酸水がぱちぱちと揺蕩っている。
「炭酸、好きなんでしょ?」
「へ」
 なぜそれを、と思わず間抜けな声が出て、俺は前足で口を押さえた。
「さっき蒼井くんが買ってきてくれて」
 思わず悠斗を見上げると、奴はもの凄い勢いでそっぽを向く。
「……そうですね、炭酸水は好きです。見るのが」
「あ、そっちなんだ。そっか、猫には飲ませない方がいいもんね」
「ティアお前、普段から人間の姿になれば無限に飲んでるじゃんか……何か俺が悪者みたいになってない?」
 流石に猫にあげないほうがいいのは知ってるよ、とうろたえ出す悠斗。分かってないなあ、この俺の気の利かせ方を。
「炭酸と、それが入っているガラス瓶って好きなんですよ。色んな見た目のものがありますし……ということで、次はラムネを所望します」
「ら、ラムネ?」
 突然話が飛んだなと言う表情をする更紗の横で、悠斗は目を丸くして俺の顔を見ている。どうやら俺の言葉の真意を悟ったらしい。
「ラムネって……どっか売ってるっけ」
「んー……確かに最近、あんまり見かけないね。確実なのは夏祭りかな」
 更紗に問われ、思い悩む様子はまさに迫真の演技。悠斗お前、演技力もなかなかだな。
「ああ、いいですね夏祭り。夜の闇とラムネ瓶のビー玉、僕の黒い毛並みとこの綺麗な青い瞳にぴったりです。そもそもそれを狙ってこの姿になったわけですしね、僕は」
「……へ?」
「ああ、ウケがいいと思ったんだっけ?」
 目を点にする更紗と、事情を知っているので納得顔の悠斗。俺はドヤ顔で説明にかかる。
「そう、そもそも僕はアレです、正体が『海の精霊が持っていた宝物』に宿った妖精ですので」
「精霊の宝物の……妖精?」
「そうです。その宝物は綺麗な『青い宝石』でして。それが一番映えるのは黒色の毛並み、そして古来より人間に一番かわいがられていたのは猫という動物――そう判断して、僕はこの姿になっているのです。色々と立ち回りやすいので」
「な、計算し尽くされた上での姿だろ? 騙されないでよ、桐生さん」
「海の精霊が持っていた宝物……宝石……」
 何やらブツブツ言いながら、更紗がもの凄い勢いでスマホの画面をフリック入力している。ややあってから彼女はその手を止め、しみじみと俺の瞳を覗き込んだ。
「な、なるほど」
「おお、分かりましたか?」
「うん。ティレニアは二重の意味で福猫なんだね」
「……はい?」
 予想外の言葉が返され、俺は目をぱちくりと瞬かせる。
「さっき蒼井くんから聞いたの、『黒猫の迷信』の一説。黒猫はそもそも日本じゃむしろ昔から『幸福』の象徴で――それに通り過ぎて行かれるってことは、その『幸福』にスルーされることだって解釈の仕方もあるみたい」
 俺が言葉を失って悠斗を見上げると、悠斗は気まずそうな顔でまた明後日の方向を向いた。
「……お前があんまり気にするから、気にする必要はないって言おうと思って……ま、そういう受け取り方もあるってことで」
「ふふーん?」
 俺がにんまりと笑うと、悠斗はぐっと言葉に詰まったような顔でますますそっぽを向いた。やれやれ、素直じゃない奴だ。
 ――そんな素直じゃない奴に、『幸福』からのプレゼントを授けてあげようじゃないか。
「ま、そういうことで夏祭りに行ってきてラムネを買ってきてくださいな、この僕に。隼人に頼むと余計なモノを買ってきた上に本来の目的を忘れそうなので、お二人に頼みます」
「……桐生さんがいいなら」
「……蒼井くんがいいなら」
 二人ともハモっての回答。しかも同じタイミングでお互いを目を丸くして見遣るものだから、まったくそっくりな二人だ。
「はい、じゃあ決まりですね」
 ぽんと黒猫の手を合わせてにんまりと笑うと、二人はこれまた同じタイミングでこっくりと頷いた。

「――悪かったな、ティア。もう似非敬語猫なんて言わないよ」
「はい?」
 帰り道、悠斗に抱えられたまま俺は首を捻って奴の顔を見上げる。
「いや、似非ってお前が偽猫とか、そういうことを言ったんじゃなくてな……」
 なんだかもごもごと口ごもっている。
「お前のその敬語口調、素じゃないだろ。だから『似非敬語』猫って言ったんだ」
 おや。随分と勘のいい少年だ。
「だから素じゃないなら、そのうち素で喋ってほしいなとか思ったり……って、寝るなこの気まぐれ猫!」
 俺はすやすやと寝息を立てるふりをしながらその声を聞く。
 まあまあ、長年染み付いた習慣というものは中々崩せないものだ。口調は敬語だけれど、心の中じゃ思い切りタメ口。まさかバレていたとはな。
 本当に勘が良い。そして、お人好しで素直じゃない、面白い人間。だからこそ、俺のお気に入りなのだけれど。俺はうっすらと目を開けて、一緒に出かけた二人の顔を見る。
 ――うん、二人とも幸せそうだ。夏が来たなら、夏祭りに楽しんで行ってらっしゃいな。
 俺は安心して再び目を閉じる。
 ティレニア。それは、とある美しい海の名前。
 ラテン語で『海の水』の意味を冠するその宝石は、とある古い神話に出てくる『海の精の持っていた宝物』。
 その石言葉は、『聡明、勇敢、幸福』。
 だから俺は、幸福を運ぶ猫なのだ。そう、二重の意味で。
 だって、なぜなら、俺の目は。
 ――アクアマリンの瞳だから。
表紙

鎌倉硝子館の宝石魔法師
雨の香りとやさしい絆

  • 著:瀬橋ゆか
  • イラスト:前田ミック
  • 発売日:2023年4月20日
  • 価格:803円(本体730円+税10%)

表紙

鎌倉硝子館の宝石魔法師
守護する者とビーナスの絵筆

  • 著:瀬橋ゆか
  • イラスト:前田ミック
  • 発売日:2022年1月20日
  • 価格:770円(本体700円+税10%)

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鎌倉硝子館の宝石魔法師雨の香りとやさしい絆